「夢は簡単に叶えることはできない。甲子園をめざす高校球児に見るように、夢を叶えられるのはほんの一握りの人間だけで、その多くは挫折することになる。夢を正しく諦める方法が必要だ。叶えられなくでも夢は夢。それが叶えなければならない目標となると辛くなってくる。夢を叶えることは諦めるけど、夢を楽しむことはできますよ」
という趣旨の記事だと理解しました。
確かに夢を叶えることは難しく、だったら叶えることを諦めて楽しもうじゃないか、という主張は一理あると思います。
でもこの記事を読んで、自分の中に言いようのないモヤモヤ感が芽生えてきたのを感じました。
このモヤモヤの正体は何なのかと考えたときに、そもそも「夢」という言葉に対する自分なりの違和感のようなものがモヤモヤの正体なのかもしれない、ということに気付きました。
わたしはこれまで夢を持ったことがありません。好きなことややりたいことはそれなりにありましたが、どうしても叶えたいと思えるような夢に出会ったことがありません。
映画やドラマ、偉い人の伝記、自己啓発本などによると夢を持つことは良いことで、夢を持てない人はダメみたいなことが言われています。
学校の先生も揃って「夢を持て」的なことを言われるので、夢を持てない自分はどこかおかしいんじゃないかとか、もっと頑張って探せば自分が心から叶えたい夢が見つかるのではないか、などと自分なりに夢探しに迷走した時期もありました。
ただある時、人には「TO DO型」と「BEING型」の2つのタイプの人間がいるということを知りました。
「TO DO型」のタイプの人は「やること、やりたいこと」がはっきりしているので、世間でいう夢が見つかりやすいけど、「BEING型」のタイプの人は「自分の状態、気持ち」を大切にするので、いわゆる「やりたいこと」としての夢は見つかりにくく、またあえてそのような夢を見つける必要はない、ということです。
このことを知ってわたしはとてもしっくりきました。わたしは典型的な「BEING型」の人間だったのです。
それ以来、わたしは無理に夢を探すことはやめ、自分の気持ちに正直に生きようと決めました。そして、出来るだけ自分が楽しく、心地よいと感じられる環境に自分を置くことに気持ちを向けるようにしています。
「BEING型」のタイプの人は、無理に夢を探すよりも、自分の状態やあり方を自分のありたい姿に近づけることに意識を向けた方が幸福度が上がると思います。
アーリーリタイアも自分の気持ちに素直に従って、自分が快適に過ごすための「BEING型」の選択なのだと思っています。